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Thursday, March 25, 2021

「映画への裏切り」に宮さん怒った 鈴木P語るナウシカ - 朝日新聞デジタル

 記者自身が「宮崎駿監督の最高傑作」と信じて疑わない漫画『風の谷のナウシカ』。コロナ禍の現在にこそ、改めて徹底的に読み込み、楽しみ尽くし、勇気をもらいたい――。そう考え、スタジオジブリのプロデューサーで、『ナウシカ』の連載立ち上げにも関わった鈴木敏夫さん(72)にお話をうかがいに行きました。抱腹絶倒の「打ち明け話」の連続です!

拡大する写真・図版東京都内の事務所での鈴木敏夫さんの近影。いつも素足だ=篠田英美撮影

【連載】コロナ下で読み解く 風の谷のナウシカ(全8回)
 宮崎駿監督の傑作漫画「風の谷のナウシカ」は、マスクをしないと生きられない世界が舞台です。コロナ禍のいま、ナウシカから生きる知恵を引き出せないかと、6人の論者にインタビューしました。スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー、民俗学者の赤坂憲雄さん、生物学者の福岡伸一さん、社会学者の大澤真幸さん、映像研究家の叶精二さん、漫画家の竹宮惠子さんの6人が、それぞれの「ナウシカ論」を語り尽くします。

(この記事は漫画『風の谷のナウシカ』の内容に触れています)

アニメーターから足を洗って絵本を考えていた宮崎駿さん

 ――漫画「風の谷のナウシカ」の連載が徳間書店の雑誌「アニメージュ」で始まった1982年当時、スタジオジブリはまだ存在せず、鈴木さんはアニメージュ編集部に在籍されていましたね。『ナウシカ』の連載はどのようにして始まったのでしょうか。

 「僕は裏の話を知っている。だからこそ、説明しづらいところもあるのですが、宮さんが初めて劇場用映画の監督を務めた『ルパン三世 カリオストロの城』(79年)の興行が大失敗してしまった。映画の世界って、1本でも当たらないと、その後がなかなか続かないんですよ」

 「彼は『テレコム』というアニメーション制作会社にいて、日米合作映画のスタッフになる予定だったのですが、なかなか準備が進まない。漫画『じゃりン子チエ』を映画化する話もあったのですが、乗り気になれない。それでね、『この先はなさそうだから、アニメーターから足を洗おうか』と考えていた時期があったんですよ」

拡大する写真・図版漫画『風の谷のナウシカ』連載第1回分から 物語の舞台となる「腐海」がすさまじい密度で描きこまれている(C)Studio Ghibli

 ――今になってみると、信じられないような話ですね。

 「そのころ、彼が一番やりたかったのは絵本です。『鈴木さん、絵本の世界でメシが食えるかな?』と聞かれた。僕は出版社の人間で業界の事情を知っていましたから『申し訳ないけど宮さん、それは無理だ』と即答しました。彼は『そんなに大変か』と肩を落としていました」

 「ちょうどその頃、徳間書店グループ内では『映像企画が必要』という話になっていた。そこで、僕は宮さんに『本当は絵本よりもアニメーションの方がいいんじゃないですか』と話したら、彼が映画のために描きためてきた絵を全部見せてくれたんです。それを僕の方でまとめ上げて、映像企画会議に持ち込んだ」

 「ところが、映画畑の人たちからは『原作も何もなく、いきなりオリジナル企画で映画を作るなんてありえない』などと、ぼろくそに言われてしまった。それを宮さんに伝えたら、『わかりました。だったら原作の漫画、やっちゃいましょうよ』という話になったんです」

拡大する写真・図版鈴木敏夫さんが徳間書店グループの企画会議に提出した宮崎駿監督の企画「戦国魔城」のイメージボード。漫画『ナウシカ』に登場する「土鬼(ドルク)」の文字も見える (C)Studio Ghibli

 ――絵本から漫画に路線変更したわけですね。

 「当時の漫画はラブコメが全盛だったので、僕は宮さんに『逆張りで、大河ドラマがいいのでは』とアドバイスしました。そうしたら彼は『風の谷のナウシカ』という企画を持ってきた。話を聞いていると、どうも彼は以前からこの物語を考えていたらしい。僕は『これはいいかもしれない』と思ったわけです」

 「宮さんは絵柄を変えた3種類の『ナウシカ』の絵を僕に見せて、『どれがいい?』って聞いてきました。右はすかすかの絵で、宮さんは『これ、○○○○(当時の大人気漫画家)タイプ。これだったら1日20枚くらいは描ける』と話していました(笑)。真ん中はそれよりもう少し複雑な『1日4~5枚』タイプの絵、左が、徹底的に描き込まれた『1日1枚描けるかどうか』という絵。僕は『左のがいい』と即答して、連載の絵柄が決まりました」

 「そうしたら、宮さんは『家族を養わなきゃいけない。1枚でいくらもらえるのか』と、露骨に聞いてくるんです。僕、しょうがないからその場で『1万円』って決めたんですよ。そしたら彼は『たった1万円か!』ってショックを受けてしまって……」

拡大する写真・図版ナウシカの原型となった「風使いの娘ヤラ」のイラスト(C)Studio Ghibli

【連載】コロナ下で読み解く 風の谷のナウシカ(全8回)
 宮崎駿監督の傑作漫画「風の谷のナウシカ」は、マスクをしないと生きられない世界が舞台です。コロナ禍のいま、ナウシカから生きる知恵を引き出せないかと、6人の論者にインタビューしました。スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー、民俗学者の赤坂憲雄さん、生物学者の福岡伸一さん、社会学者の大澤真幸さん、映像研究家の叶精二さん、漫画家の竹宮惠子さんの6人が、それぞれの「ナウシカ論」を語り尽くします。

 ――シビアな話ですね。

 「当時、新人の原稿料が1枚3千円で、ちょっと描けるようになってくると5千円。超大家になると7万~8万円というのが相場でした。漫画は連載1回分が24枚というのが基本だったので、1カ月分の原稿料が24万円。宮さんは『これで食べていけるかな』と心配していた。『途中から原稿料上げますよ』とは言ったんですけど、彼はぶつぶつ言いながら描き始めてくれました」

 「僕と宮さんは年齢は8歳離れているんですが、教養は共通していた。僕が子どものころに親しんだ絵物語や映画を、宮さんも見ていたんです。だから、打ち合わせでも話が早かった。宮さんはナウシカをやるときに、何をヒントに描こうとしていたのか。これ、僕はまだどこにも話したことないんだけど、きっかけは『新諸国物語』(1952~60年)というNHKラジオドラマの時代劇でした。爆発的な人気で、東映が映画化しました」

「まだどこにも話したことがないんだけど…」きっかけはある時代劇

 「初めの頃は『笛吹童子』とか、日本の中の物語だったんですが、途中から舞台が世界に広がるんです。アジアとか中近東で活躍する少年が、なぜか日本の血を引いていて、最後は日本に帰ってきて大活躍っていう物語でした。僕も宮さんも大好きだったんです。それがナウシカの出発点ですね」

拡大する写真・図版 宮崎駿監督が1969~70年にかけて子ども向けの新聞に、秋津三朗の名で連載した漫画『砂漠の民』の一場面。『風の谷のナウシカ』の原型とされる(C)Studio Ghibli

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