150年近く前に発行されたワクチンの接種証明書が見つかった。1875年(明治8年)の「種痘証」。当時、明治政府が国民に呼びかけた天然痘のワクチン接種(種痘)を証明するものだ。松江藩の足軽だった家の子孫が昨年末、松江歴史館に寄贈した資料に含まれていた。同館で開催中の企画展「明治時代のワクチン接種」で公開されている。(阪悠樹)
同館によると、この種痘証は、松江市雑賀町で暮らしていた11歳の少年が2回目の接種を受けた際のもの。明治政府は1874年、種痘医の免許制度を設け、種痘済み人数の報告を求めるなどした「種痘規則」を定めており、県内に伝わって間もない時期とみられる。
寄贈を受けたタイミングがコロナ禍だったこともあり、同館は「新型コロナウイルスのワクチン接種を巡る現代の映し鏡となる資料」と判断。「歴史から現代の暮らしを見つめ直してほしい」と、他の資料と合わせ、今回の展示を企画した。
会場では、関連資料約40点が並ぶ。松江市本庄町の川部地区に残る1875年の種痘証計31枚からは、同じ日に10人以上が接種を受けていたことが分かり、当時から「地区総出の集団接種」があったことがうかがえる。
このほか、西洋医学を好んだ松江藩の9代藩主松平斉貴が種痘医を登用し、1854年、生後数か月の娘らに接種を受けさせたとの記述がある「松江藩列士録」(県立図書館所蔵)も展示している。
「天然痘ワクチンは当時、『効き目があるか分からない』『接種を受けると牛になる』と恐れられていた。藩主が身をもって安全性を示したのでは」とみるのは、新庄正典・主任学芸員だ。「人間と疫病の歴史を通し、コロナ禍を生きるヒントを感じ取ってほしい」
東京から訪れた長沢操さん(67)は「現代でもワクチン接種に対し抵抗を示す人が少なくないのに、科学的根拠が乏しかった時代によく打ったと思う。コロナ禍が長引くが、早く天然痘のように根絶してほしいですね」と話していた。
5月29日まで。午前9時~午後5時。5月2日を除き、月曜休館。大人510円、小中学生250円。問い合わせは同館(0852・32・1607)。
◆ 天然痘 =感染力が強いウイルス性の感染症。高熱が出て全身に発疹が現れ、治癒後も体に痕が残ることで知られる。致死率が高く、英国の医師ジェンナーが18世紀末にワクチンを開発するまで、世界中で繰り返し猛威を振るった。その後、ワクチンが広まり、世界保健機関(WHO)が1980年、根絶を宣言した。
「地区総出の集団接種」も…150年近く前に発行、ワクチン接種証明書を発見 - 読売新聞オンライン
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